はじめに
子どもの頃、ゲームは夢そのものだった。
新しいタイトルが出ると、雑誌を食い入るように読み、
発売日に並んで買った。
家に帰る途中の胸の高鳴りは今も忘れられない。
しかし今は違う。
家庭用ゲームを買っても期待外れに感じることが増えた。
スマホゲームは課金を前提にした作りばかり。
そしてかつての名店だったゲームセンターは次々と姿を消した。
商売である以上、利益を追求するのは正しい。
けれど「楽しいからお金を払う」という当たり前の順序が崩れている。
「お金を払わせるために遊ばせる」そんなゲームが増えているのだ。
僕は純粋なゲーマーとして、この現状に悲しみと怒りを覚える。
だからこそ、いったいいつからこうなったのかを、
自分の体験を交えながら年代別に振り返ってみたい。
80年代 ― 容量との戦い
1980年代半ば。
ドラゴンクエストやファイナルファンタジー、ストリートファイター。
今でも語り継がれる名作が誕生した。
驚くべきは容量だ。
ファミコン版ドラクエの容量はたった64キロバイト。
今のスマホ写真1枚にも満たない。その制約の中で、製作者は頭を絞り、
「面白さの核」だけを磨き上げた。
僕が初めてドラクエを遊んだとき、
家の小さなテレビに映ったドットの勇者に、
想像力で壮大な冒険を重ねた。
フィールド曲が流れるだけで、世界が広がっていく気がした。
それでも「新しい遊びを届けたい」という熱意は十分に伝わった。
少ないリソースをどう活かすか?
それが80年代のゲームの本質だった。
90年代 ― 熱狂のピーク
90年代はまさに黄金期。
家庭用ゲームは進化を遂げ、ゲームセンターは青春の居場所となった。
ゲームセンターの記憶
格闘ゲームブームが巻き起こり、ゲーセンには人だかりができた。
順番待ちの列に並び、見知らぬ人と真剣勝負。
勝てば知らない誰かと笑い合えた。
待ちガイルにイライラした兄ちゃんが喧嘩する空間。
そんな熱量のある空間が大好きだった。
家庭用の進化
「どっち派か」で友人関係が変わるほど。
大人は両方持っていて羨ましかった。
「本当に人が動いている」と感動した。
今では笑えるほど粗いが、当時は未来に触れたようだった。
ゲームボーイの登場も大きかった。
テトリスに夢中になり、ポケモン赤・緑で通信対戦に沸いた。
公園のベンチでリンクケーブルをつなぎ、
「お前強すぎだろ!」と騒いだ日々。
ゲームは日常の一部であり、友情を深める道具でもあった。
00年代 ― 名作と二極化
2000年代、家庭にはPS2やXboxが広がった。
PSPやWiiも登場し、ゲームはより身近になった。
「デモンズソウル」で初めて味わった死の連続と達成感は、
しかし一方でマンネリも進んだ。
格闘ゲームはシリーズが続きすぎて、
「また同じじゃないか」と感じる人も増えた。
新規を呼び込むための調整は古参にとっては物足りない。
コアとライトの二極化が進み、ゲーセンは徐々に人が減った。
家庭用もまた、
ライトユーザーを意識した作りが増えた。
結果として、
「簡単すぎて物足りない」と感じる層と、
「難しくてついていけない」と感じる層に分かれてしまった。
10年代 ― ゲーセンの終焉と課金時代
2010年代に入ると、
ゲームセンターは氷河期を迎えた。
ゲームセンター閉店の理由
お客さんはネット対戦に流れた。
家にいながら全国の猛者と戦える。
わざわざゲーセンに行く必要がなくなった。
さらにスマホゲームの台頭。
手軽にいつでもどこでも遊べてその便利さに人は流れていった。
店側にも大きな負担があった、筐体は数百万円。
さらに1プレイごとにメーカーにロイヤリティを払わねばならない。
お客さんが減れば赤字が膨らむ。
結果、有名店でさえ閉店に追い込まれた。
青春の舞台が消えていくのは本当に悲しかった。
家庭用とリメイク
家庭用も厳しい時期で新作には莫大な費用がかかり売れなければ大損。
だから開発者は新しい挑戦よりもリメイクや続編を選ぶようになった。
「名作の焼き直し」で安心を買う形だ。
スマホの課金構造
そしてスマホアプリ。
基本プレイ無料をうたいながら、実際は課金を前提に作られている。
ガチャで当たりを引かせ、「もう少しで揃う」と思わせる。
知らぬ間に課金額が膨らむ。
僕も一度、夢中になった。
深夜にガチャを回し、欲しいキャラが出なくて頭を抱えた。
冷静になると「これは遊びなのか?」という疑問が湧いた。
財布を試されているようで、心から楽しめていない自分に気づいた。
リメイクと課金ゲームの裏側
過去の栄光に頼れば開発費も抑えられる。
もちろん全てではない。
誠実に作られた作品もあるけれど「課金しないと進めない」
そんな作りを見るたび昔のゲームと比べて悲しくなる。
それでも面白さを見つけたい
見分けるには工夫が必要で体験版を遊ぶこと。
発売直後は熱が強すぎて参考にならない。
数週間後の冷静な声の方が信用できる。
開発者を調べることも大切だ。
過去に面白いゲームを作った人は新作でも期待できる。
スマホなら課金の押しつけ具合を必ず確認する。
「お金を払わないと楽しめない」ならやらないよ。
あとがき
80年代、制約の中で光る工夫があった。
90年代、熱狂の渦に包まれた。
00年代、名作とマンネリが同居した。
10年代、便利さと課金が主役になった。
人は制約があると工夫する。
昔は容量が足りないから工夫した。
今は自由すぎて逆に工夫を忘れている。
「まずは楽しいか」
この基本を取り戻すことが、ゲームを救う唯一の道だと思う。
僕たちもまた選ぶ目を持たねばならない。
安易な課金に流されず、本当に面白い作品にお金を払う。
そうすれば面白いゲームは残り、次の世代にも受け継がれていくだろう。